中華人民共和國は建國70年
中華人民共和國といふ國があります。毛沢東と中國共産党によって1949年(昭和24年)に設立された新しい國です。まだ建國から百年もたつてゐません。アメリカ合衆國の建國を、独立宣言の出された1776年とすると、アメリカよりもさらに百年以上も若い國といふことになります。
支那は古い
支那。これは國名ではありません。ユーラシア大陸の東側の王朝を総称していひます。古くは「殷」や「秦」「漢」など、新しくは、「清」や「中華民國」「中華人民共和國」を指します。やうやうの王朝の流れとしての支那はまことに古い。
また、支那はその地域も指します。支那大陸ともいひます。
「支那」のことを英語ではChinaといひます。チャイナです。語源的には、紀元前の王朝の「秦」であらうとされてゐます。「シン」あるいは「チン」といふ音がもとで、その呼び名がアラブに渡り、ヨーロッパに渡りイギリスに渡り、英語世界に廣まつたと考へられます。
英語には支那をあらはす言葉にSino(シノ)といふ語もあります。語源はChinaと同じでせう。ふつう、Sinoという語は、それ單獨ではつかひません。なにか他ことばの前にSinoを置いて支那をあらはします。例へば次のやうに。
- Sino-Tivetan language : シナ・チベット語族
- Sino-US tensions: 支那と米國の緊張
- Sino-Arab relation: 支那とアラブの関係
日本では平安時代にはすでに支那といふ言葉が表れれてゐます。それが一般にひろまつたのは江戸時代と考へられてゐます。ですので、日本語としてのシナといふ言葉のもとは、ヨーロッパといふよりも、アラブあるいはインドでせう。
「中國語」とは何者
シナの地域の人が話す言葉があります。シナ語です。むろん方言もあり地域でも異なります。全部が同じではありません。北京語、広東語、等々。このシナ語のことを、日本では多くのひとが中國語といふやうになりました。不思議なことです。まことに不思議なことです。
Chineseといふ言葉はChineeseです。中華人民共和國といふ國ができやうが滅びやうが、Chineseは Chineseです。それがあたりまへのことです。
ところが日本では、いつの間にか支那語を中國語と呼ぶやうになりました。最近のことです。
新しく國ができたらその地域の人の話す言葉の名前もかへるとはおかしなことです。朝鮮語を指して「韓國語」といふがごとくおかしなことです。
言語学者でさへ、支那語といはず中國語といふ人がいます。中國といふ國がなくなったらその人たちは支那語を何と呼ぶのでしょうか。自分の書いた論文や本や辞書は全部書き換へるつもりなのか、聞いてみたいものです。
「古代中國」とは何ぞや
支那の歴史は長ものです。殷の王朝から數へると四千年余あります。
しかし、「支那の歴史」といふのと、「日本の歴史」といふのとでは趣が異なります。支那の場合、昔から、支那大陸をさまざまな王朝が統治してきました。單一の國としての歴史ではありません。たとへば、モンゴル帝国の元の王朝や、満洲族の清の王朝など。それぞれが國です。
支那では國が亡んでまた次の國ができます。そこに支那の歴史の面白味があります。また、それぞれの王朝と支那の文明との関はりも興味がつきぬものです。
ところが、その支那の歴史を指して「古代中國」といふひとがゐます。ふしぎなことです。中國といふ國は70年の歴史があります。それより前は、別の國がありました。古代もなにもありません。「古代唐」も「古代元」も「古代清」もありませんし言はない。だが、「古代中國」だけはいふ。
一時、「中國四千年の歴史」といふ言ひまはしがありました。もう無茶苦茶です。
古代の支那のことを中國や古代中國と言ひ、書く人は、中國といふ國がなくなつたらどうするのでせうか。書いたものは全部書きかへるつもりでせうか。これは愚問ですね。すでに、自分の著作を改版を出すとき「支那」を「中國」に平気で書き変へてゐるのだから。嚴しく指導されれば、ほいほいと書き変へること間違ひなし。
うたかたのまぼろし
そのやうな人は、「中國語」にせよ「古代中國」にせよ、いまの刹那にだけ言ひ書くだけで長く残すねうちのあるものとは思つてはゐないのでしょう。いづれ書きかへるものですから。
いま、大學で支那語を敎へ研究するところは「中國語學科」と呼んでゐます。中國といふ國がなくなつたら、この看板をつけかへるのでせう。古くなつた流行り服を脱ぎ捨て新しい流行り服を着るかの如く。もはやそれは學問でもなければ、科学的でもない、ただのうたかたの中のまぼろしとなりませう。
了