信号の黃色は
信号機の色のうち「靑」と「赤」についてあれこれと記した。残るは「黃」。とはいへ、この色は黃あるいは黃色のとしか呼びやうがない。議論の余地はない。
米國でもyellowといふ。ところが、米國でも信号の黃色をorangeといふ人もゐる。もちろん、そのやうな人も信号の色としてはyellowと呼んでゐた。確かに信号機や標識はものによつては橙色に近いこともある。彼らにとって、orangeといふ色はとても幅が廣く、赤味がかつた黃色や茶色といふものまでorangeといふやうである。
鈴木孝夫先生の「日本語と外国語」
鈴木孝夫先生が書かれた「日本語と外国語」(岩波新書)といふ本がある。題名の通り日本語と外国語の違いについてとても示唆に富む話が數多く書かれてゐる。たとへば、虹をなす色の数は七つなのか六なのか四なのか、國や文化習慣で異なるといつたことなど。その他にも言葉の違いにまつわる面白い話がたくさんあるので読まれることをお勧めする。
その本の中に、orangeはオレンジにあらずといふ話がある。アガサクリスティの小説に「orange cat」という語が出てくるが「オレンジ色の猫」といふ訳ではどうも合点がゆかぬという話。諸々あつて、結局、英語のorangeと日本語のオレンジが指し示す言葉は同じではない、少なくとも、英語のorangeの指し示す範囲ははもっと広いといふことが腑に落ちたとの由。
今やインターネットの時代。Googleで「orange cat」の画像を検索すれば、いくらでも orange色の猫 の写真や絵が出てくる。日本語の世界では、茶色あるいは赤と呼ぶ色で、決して「オレンジ」とは呼ばない色の猫がいくらでも見られる。 一目瞭然とはことことか。
日本語の混沌は日本人が正すしかない
結局のところ、少なくとも色の名前は、言語ごとにその指し示す範囲が異なり、一対一の翻訳などできやしない、というあたりまへの結論になるだけである。
Googleでの orange catの検索のついでに、「Japan Blue Green Traffic Light」で検索したところ面白い記事があつた。This Is Why Japan Has Blue Traffic Lights Instead of Greenといふ記事。日本の信号機の進めがなぜblueなのかをたぶんアメリカ人と思しきひとが書いてゐる。ここに書かれてゐる交通行政上の経緯の真偽はわからぬが、どうも眉唾であり、aoという日本語の理解は明らかに間違ふてゐる。aonisai(青二才)を”blue-two-year-old”としているのを見ても誤り。青二才を字義通りに、それも無理やり訳すならば、”green”とすべきでありそれ以外にはない。ここにも、言葉が一対一対応するという誤りの前提がある。
このアメリカ人(と思しきひと)は何も惡くないし閒違った日本語を教へ廣めてゐるのは日本人そのものだらう。インターネットでその他を検索したらも、さらにたまげる記載がありました。Wiki Pediaの英語で書かれた日本語のAo(青)の説明。その記事は参照文献も書かれてもゐない怪しい記事だが。日本語を正しく理解し正しく説明するのは日本語を母語とするわれわれの役割ですね。インターネット上の情報を見て文句を言ふだけではなく、正しく説明すること必要と思ふ次第。
(了)
トンメコ